ARGOなつれづれ日記

from ARGONAVIS関連での覚え書✏️兼呟き💬や、雑多趣味についてあれやこれや書いてます✨

待つ時間

いつまでだって待てますよ。と少し前にツイートしたことがあります。そして、暫くしてのインスタでのお元気そうな姿には凄くほっとしました。

 

男祭りの感想の間に挟む投稿内容でもないのですが、ダブエス展の潜入特番のお話が出ていたので、ここでこっそり。笑

 

まあ、ここからは私の気の長さと根幹っぽいことを話しているだけなので、興味のない方はスルーで結構です。

 

改めて思い起こしてみますと、うわー私、やっぱり気が長いや、と思ってしまう位長く待っていたことが(いやまだ待っているものとあるな笑)ありました。

某小説の新刊。10年以上待ってました。

ええ、まさに。

ご存じの方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

小野不由実先生の『十二国記』シリーズ

このお話、最初の一冊分丸々暗くて、でもそれがあるからこその結末と、『自己と他者』っていうものを刊行当初は考えさせられましたね。

いかに自分が甘いかってことも。

自らが自らとして立っていくことの難しさ、他者にはその人のそれまでの積み重ねがある事実。バックボーンが違えば、導き出される答えも違ってくるのだと。

凄く当たり前な事なのだけど、当時は真剣に考えたことなかったので、衝撃を受けた覚えがあります。

 

自己主張も大切。けれども、『他』を認めることも大事。

それが今の私のベースになってます。

 

だから『待つ』ことは『当たり前』なことなのです。

自分と他では、各々持つベースが違うのですから、全く同じ様に出来るなんてことはないんです。皆食べる速度が違うのと一緒。

ごく稀に、甘いとか色々言われることもありますが、気にしません。優しいねと言われたこともありますが、それはちょっと違うかなとそこは否定してます。私の中では違うのですよ。

私の中での『優しさ』は『認めて、色々な意味で認識してくれること』かな。上手く言えませんけど。

そこには、憤りや怒りのような負の感情も含まれていると思います。全てを認めてくれるのではなくて、一緒に考えてくれることが言ってくれる事が『優しさ』かな、と。

 

あ。でも、仕事に対しては結構シビアかもしれません。笑

だって仕事するってことは、お金をいただくことですからね。会社にもお客様にも不利益を講じてはならないと思っていますから。