ARGOなつれづれ日記

from ARGONAVIS関連での覚え書✏️兼呟き💬や、雑多趣味についてあれやこれや書いてます✨

推し活って何だろう

私に取っての『推し活』ってどんなものかな、と考えることがしばしばあります。

これは私個人の考えで、押し付けるつもりもひけらかすつもりも全くありません。

こう『考えている』よと、こう考えている人もいるよと選択肢として知って貰いたいだけです。

 

好きで、応援したいのは勿論なのですが、現実的な側面から見ると、言い方はあまりよくないかも知れませんが『どれだけお金(時間も含む)をかけられるか』なのですよね。

相手の方々だって『仕事』なのですから反応は勿論のこと、現実的に収入の伝手になるものは大事だろうなと思うのです。

これは、自分もお客様相手の仕事をしているから実感しているのですが、『美味しそうだね』とか『言葉のエール』は確かに嬉しい。けれど、それでは売り上げ上がらないしお腹も膨れない。実績がなければ、世の中シビアなので『先』には進めない。

私も過去に、所謂最後の店長をやったことが何度かあります。偶然の時もあればどうにかして欲しいという時もありました。

これって凄く悔しいのですよ。

確かに、自分の努力が足りなかったのかもしれない。

もっとやれることあったかも、出来ること全部したかなと自問自答もよくしてました。

前任の店長さんから引き継いで、『こうしたい。このビジョンを実現したい』との想いを持ってやっていても ままならないことが多くて、辛いこともしばしば。

けれど、その時その時の『全力』は出せていたと自分を信じたい。そうしないとやりきれない。

そしてそんな中、毎日来る方は勿論ですが、遠方から来て下さるリピーターさん達の、回数は少ないながらもその『熱量』は凄く嬉しくて、言われなくてもその想いは感じられたからこそ、辛くても、今は全く違う部署でも頑張れると思っています。

そこに繋がる可能性が、何処にいてもあると思うので。

だからこそ、私にとっての『推し活』って、自分に出来る範囲ではあるものの、色々な方法で『可能性となる応援』をすることなんです。

出来ることは少ないかもしれない。お金だってひとりでは限界があることは当たり前のことで、『無理』はどちらにとっても良いことにはならない。

よくキャストの方々も『出来る範囲で』とおっしゃっている言葉を胸に抱いて、自分なりに消化吸収して、後悔しないように、そして可能性を拡げられるようにしています。それこそ お金を落とすも、知って貰うように動くも、恥じない行動をするも、エールを送るも何でもありだと思うのです。

『外』に向かってプラスになるように、自分なりに動く。それは、自分にとってもプラスに作用すると信じてます。

絵を描くことだって、自分なりではあるものの少しでも拡がる可能性を信じてだし、やりたいと思ったことは 無理にならないよう自分の中の許容範囲と相談しつつ『その時の全力』を出していきたい。

それが私の『推し活』かなと思ってます。

 

 

(少し気になるツイートがあったので改めて書いてみました。役に立つかは判りませんが、何かの『たし』になればと思いまして)